Tomohiro Ogawa
#010

氷菓

省エネルギーとは、慣性を知る者だけが選べる自制である。

機関車の力学、あるいは静止摩擦の質量

折木奉太郎は機関車だ。 機関車の本質は速度ではなく、その巨大な質量を動かすために必要なエネルギーの莫大さにある。 静止した鉄の塊を1ミリ動かすことが、最も重い。奉太郎の「省エネ主義」は怠惰ではなく、自身の起動コストを知る者の自制だ。 千反田えるは、その静止摩擦を超えるだけの燃料を毎回供給する。「わたし、気になります」という一言が、奉太郎の質量に見合うだけの熱量を持っているからこそ、あの重い胴体は動き始める。 殺人も超常現象もない日常の謎において、推進力の不在を補完しているのは、推進力への抵抗そのものである。 動き出すまでの摩擦が重いほど、走り始めた後の加速に読者は引き込まれる。

溶けるものに封じた、溶けない悲鳴

関谷純は自らの叫びを「氷菓(アイスクリーム)」に封じた。 I scream——すぐに溶けて消えるものに、45年間溶けなかった悲鳴が凍結されている。 この逆説の核心は、溶けなかった理由にある。アイスクリームは冷凍庫から出した瞬間、受け手の有無に関係なく溶け始める。 関谷純の悲鳴もまた、発せられた瞬間から溶け始めていた。届かなかったのではない。溶けていくのを、誰もがただ眺めていたのだ。 無関心という冷凍庫が、悲鳴の形だけを45年間保存した。千反田えるの「わたし、気になります」は、その冷凍庫の扉を開ける行為だった。 遅延の原因は発信側にも受信側にもない。それを見て見ぬふりをした傍観者の総体にある。

汽笛の前の沈黙設計

「わたし、気になります」は物語の発車を告げる汽笛である。 読者はその合図を待ち、それまでの描写を伏線の蓄積として認識する。 しかし、汽笛が機能するのは、鳴るまでの静寂が十分に設計されているからだ。 米澤穂信は発車前の退屈な日常描写を手抜きしていない。 埃っぽい部室の空気、奉太郎の低体温な語り口、何も起きていないのに離れられない気配。 それらは情報ではなくテクスチャとして充填されている。 汽笛の瞬間を描くことは誰にでもできる。その前の沈黙をどれだけ豊かに設計できるかが、静と動の間に構造を生む。